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黄金週間

大型ゴールデンウィークが始まりましたーッと
一斉にいってまーすッ
毎日がゴールデンの今ではピンときません

現役のころは道内あっちこっち無理して出かけたけど
今はそんな気も起きない
北国はまだまだ冷たいのですよ
母さまと一泊なら近間に行けるかなー
籠っているのもなんだかなー
弟に相談しようかなー

朝1番の電話でした
「もしもし××シオルですが、ご主人様をお願いします」
(ご主人さまは自分だけどねー なんだ?)
「どのようなご用件ですか?」
(シオルあれだ)
「不動産の件ですが」
「不動産は結構なんですがどちらにお掛けですか?」
「○区の賃貸ですよね、△△番ですよね」
(賃貸に住んだ経験は長い人生四ヶ月しかないです)
「いいえ違いますよ」
「あ!そうですか リフォームとかはどーですか?」
「昨年しましたので結構です ごめん下さい」

確かに三年前これからの事を考えて住み替えようと
××シオルに行ったわなー
自転車に乗って、
まさかー という格好だったかなー
モデルルームと自分のギャップは確かにあったなー
質問と目を見れば冷やかしでないとわかるのにね
こんな担当セールスとややこしやの交渉するのはたまらんなー

縁がないと短気な自分 次に進行
山の麓の1軒家をリフォーム家庭菜園にしたよ
古マンションもバリアフリーもどきにしたよ

こんなだからシオルから今だに案内が来てる
電話掛けなさいって新人さん教育されてるんだね
自分の苗字読めなかったんだね

自分の息子も娘も人生の先輩から教えを受けて今があるわけで
まあまあ気長に応対したつもり
めげずに頑張ってくださーい。
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同級生

まだ開けぬカーテン越しの日があかるかった  が、
外は雨、風も強い、外気温は8度
なんでかなー  Y子ちゃんがHさんのネット検索に来るのにー、
午前中はHさんの思い出話、
Hさんは自然とか芸術とかアプローチしてくれてたのに、
あのときの自分たちは思い及ばず済まないことをしてしまいました。

午後よりKKさんの顔だけ御見舞いに参上
脳幹出血で医師もびっくりの軌跡の生還です。
左中指、左下半身の麻痺、筋肉強化等クリアすることはありますが
順調に回復しているようです

頭は、はっきり回転良好
これからは仕事も少し控えると奥様と話したそうで
N先生の金婚祝いも範ちゅうにあるよ と
以前のKKさんと全然変わりません
プランも話してくれて、
無理しないでねと言いつつもほっとしたYちゃんと自分です。

藤瀬勝之さんが瑞宝単光章を叙勲です。
KKさんが新聞を取り出し教えてくれました。
各界で業績を残した人が対象と言う事で、すごい!
ミニクラス会の時何も言ってなかったなー、
まさか同級生からねー。
藤瀬さんおめでとうございます。

N先生知ってるかなー。

ライトグレー?

あれまー、カーテンを開けると灰色の空です
春の神様あっち向いてしまいました
サービスに雪までちらちら降ってきて

恩師の金婚式の打ち合わせでKKさんに電話しました
奥様のおっしゃるには1月に倒れ今も入院中の事
幸いにもリハビリーのかいあって元通りに回復見込みの事
少し安心しました

12月のHさんのお通夜の時には元気印と見えたのに
自分達そんなお歳なのですねー

こんな日

予報通りのお天気です。
デイに行く母さまを両手のバイバイで送りました。

いつものようにブログ訪問です。
さてと、今日は早々にして身体動かさなくっちゃ、
立ち上がろうとして、
あれ!、見落とした?、ない!
見っけ! 見っけ!
ランキング撤退でした。
特に認知介護のブログは新しい世界?で
自分のところだけが特別でないという事
専門的な知識を知り
経験から得た学習などの交換
などなど、やる気(勇気)人として人に対する真のおもいを
目覚めさせて呉れたと思います。

とりつかれたように訪問しているブログながら、
この頃、行き詰まり(悲しみ)を感じるようになっていました。
文とは、言葉とは、人も自分も傷つけてしまう。

ランキング撤退、意味あることと思います。
自分、何を言ってんだか、何を言いたいんだか。

午後よりKデイサービスセンターを訪問しました。
Fさん少し細くなられましたね、口腔ケアとトイレ介助
レクリエーションに使う新聞紙をハサミで切りました
Fさん、ハサミ使いだんだん上手になって満足気
Yさんも手伝ってくれました。

チューリップも15センチほどに伸びてます。
今年も畑手伝ってくれるの?とTさん
もちろんですよ、ほっかむりしてやりますよ、よろしく、
周りのみなさんワッハッハです。

母さまが又お邪魔しますと帰ってきた。
柏餅とお番茶でお疲れさん(糖尿、90分後には晩食だけど試験中)
ご飯支度するからTV見ててね。



なんだかなー

今日は春を思わせる陽差しでした。
明日も今日の様なお天気でしょう。
何と微妙な言い回し、
でも納得です。
カーテンを閉めながら西の空を見たら、
ピンクとオレンジを混ぜたような
なんとも曖昧な色でしたから、

家にばかり居るから身体がなまっている
動かなくっちゃー。

時をかける母

昨夜上の弟が果物と週刊誌を持ってやってきた。
しばらくだねー。
子供は何歳ですか?。
お前を犠牲には出来ないと命かけて教育したんだよ。
此処まではいつもの通りです。

弟が帰って週刊誌を見ていた母さま自分に言いました。
遊んでないで仕事見つけなさいよ。
明日運動会なんだけどオカマはどこにあるかしら?
お弁当作ろうにもこんな所に来ると思わないから道具も用意してないよ。
だんだんバージョウアップ、湯呑み、テッシュ、おしぼり、ゴミ箱、をリビングから自室に運び始めました。
お母さんそれはこっちの部屋でしょ
いいえ、ちがいます!
小さな庭に来て急上昇するヒヨドリのようにキューンとトーン上がりました。

自分リビングに布団を敷いて一時撤退、
隣の部屋で耳ダンボで三時まで寝て、以後リビング、
朝は日常復帰してました。

TV,週刊誌どちらがきっかけでしょう?
後で週刊誌読破しょう。

まっ、専門的には色々言うのでしょう。
まー、知っても、結論したとしても、

母さまは今を、いいえ、その時、その時を懸命に生きているのです。

まだまだ。

昨日小さな小さな庭を見たらプラムの木が芽吹いてきていた。
グミの木も同じ、
という事は樹液の上がらないうちにブドウ(ポートランド)も剪定と思ったんだけど半端ではない冷たさに、即止めました。
木イチゴが変化なしで気がかりですぅ。

雪も降るし、峠越えもあるしー、ゴールデンウイーク済んでからタイヤ交換するのが賢明ですぅ。

昨年の今頃は大分、宮崎、愛媛の旅行でミカンが斜面に植えられていておったまげた、高いなんて文句いえねーッ。
その前の年は、沖縄いきなり26℃もあってフラフラ、 が、海は綺麗でありました。

天気に左右

カーテンを開けると久々のお天気模様。
このところズーッと薄ら寒かった。
ライラックも膨らまないのにリラ冷えとも言えない。
家庭菜園の意気込みもポシャッてしまった。
閉じこもりを決め込む。

6月の末に義姉と3人稚内に車で行く予定、帰りにオホーツクを回ってと思っているけど、まずはそれぞれの子供に了解を得なくっちゃー。(これ、歳とったら大切な事と思います)
ネットを見たり地図広げたり、ボラもスルーして没頭して過ごしました。
地図が古すぎるわー。

母さまの先祖は福井県、
TVを見ていたら「一乗谷朝倉氏遺跡」の映像が繰り広げられている
すると母さま「父親に聞いたことがある、」と言いだした。教育に熱心なこと、限られた山中であること
繋げていくとでたらめとも思えない、祖父の実家は寺子屋をしていたという事で貧乏でも教育には熱心という
気質は確かに母にも受け継がれている。

よし、来年は福井行き決定。
明日は母の実家の伯父さん(母の兄)の命日です。
これから行ってきまーす。

同級生

昨夜から朝まで或る小冊子10冊読破、ネット検索、
思い出あっち飛び、こっち飛び、目はランラン頭スッキリ
とても良い時を過ごしました。

帰宅するとY子ちゃんからレターパックなる物が届いていました(小中の同級生)
2人の間で話題になる「プチレストランにれの木」のオーナーが学んだ木造校舎が取り壊されるのを機に写されていたものを14年を経て校舎にまつわる思い出、未来の子供達に伝えたいおもいを、実体験、歴史、創作も交え書かれたものでした。 どうしてY子ちゃんの手元にあるかと言うと同じく同級生のHさんが「にれ」のオーナーであるKさんの高校の先輩であるところから「木」繋がりで長沼の「絵本屋ぽこぺん」さんの協力で「木造校舎の声展」を催された際展示されたものをHさんがY子ちゃんのところに「良かったら読んでください」と持参されたものです。

自分にはHと検索してくれれば僕の事出てますよと謙虚に話されました。

冊子に書かれている校舎は音江と言うところにありました。
石狩川を挟んでHさん、Y子ちゃん、自分はイチヤンというところに住んでいました。
昭和38年音江、イチヤンその他周りの町村を合併して深川市となりました。
音江が昨夜まではそんなに栄えた村であることを知りませんでした。
そういえば国道12号線(上川道路)は音江の前にあり、
石狩川に架けられた深川橋を渡って深川駅があります。
「にれ」のオーナーは自分の長男と同い年と拝察致しますがよくこれまでのことを「おもい」とともにまとめ、発信されたと思います。

4月の初め同級生15人が沼田に集いましたが、生徒会長をされ、
スポーツマンでもあり柔和なHさんの姿はありませんでした。
帰札途中Y子ちゃんが「プチレストランにれの木」を訪ねたところ閉店してて残念と教えてくれました。
昨夜分ったことですが今は次のステップに向けて充電中のようです。

H 21 12 20  の  日記より
小、中学生の同級生Hさんが亡くなりました。
いつものように検索していて友の闘病に出会いました。
ご家族に連絡を取って5日目でした。
退職後も多方面に活躍され特に地球環境に造詣深く啓蒙活動をされていました。
若すぎます。無念の思いが伝わります。
札幌在住の同級生は駆けつけました。(いつもの笑顔の遺影が信じられませんでした)
体育の先生だったN先生が「H20年早かったなー」とお別れした時、子供に帰って泣きました。

木育に情熱かけし亡友ならば積木と戯むる児らを見ゆ






選挙

群雄割拠の体そうし、
新党立ち上がる、立ち上がる、
参政権を得て64年の母さまは、
棄権したことがない、
TVは選挙、選挙と話しかけ、
母さま選挙と立ち上がり
あなたは行かないのと誘われる、

当日はどうしましょう?

法事にいきました

昨夜「お母さん、明日叔母さんの法事で出かけるから早く寝ようね」
「死んだの、葬式に行ってないよ、知らないよハーッ」
(やっぱりね、ハーッは自分の台詞でーす)
たたみこんで自分の勝ち、寝てもらいました。
夜中起きるは、起きるは、
「死んだのならまず行かねば、TELせねば、紋付き出さねば、セットせねば」、その都度トイレ、トイレ
「お母さん寝なかったら調子悪くなるよ、そしたらSが連れて行かないというからさー」
と弟のせいにして自分押し切りました。

会場に着くとお香の香りが瞬時にして叔母をおもいださせてくれます
母は写真に手を合わせ
「Mちゃん死んだのかい、若いね、綺麗だね、私もすぐ行くからね、いや!姉さん(100歳)が先だわ。」
なぬ!、いつも自分に、順番はきまってないからと脅かすのにね。

お経の時も手を合わせお数珠も綺麗にあつかってます。
お食事も家のように手で摘むことはありません(社会性は保たれてますねー、箸は止まることはありません)
大きな声で皆さんとにこにこ話してます。
親戚の皆さんお相手ありがとう。


母さまがM子姉さんは?S子さんは?と探しますが2人の伯母の姿はありません。
跡取りがお参りしていればいいわけで、お体も今一つ.出かけるには不安があるようです。
まっ!ある意味無謀、冒険ともとれる事をする人がいないと言うことでしょう。
大変ね、ストレスためないでね、偉いねー、寝れる?と心配して下り
そのように認めて下さるのは有難いことです。
自分は大変な域にいるのか、これからなのか、母との関係において楽しみなところです。
自然に湧いたこのおもいを人様に押しつけることはできません。

お母さん今日は、20歳は若返ったよ。
今度S子おばさんに会いに行くからね。お嫁さんにアポイントとったからね。

叔母さん、いとこの皆さんに会わせて戴きありがとうございました。

お久しぶりです。

H病院健康推進室主催、介護保険について、を受講しました。
H16年あたりから恩恵に預かっているものの改めて聞くことにしました。

1時間の予定の40分を過ぎたころ車椅子を押した、夫婦とおぼしきお二人が最前列座られました。
あっ! Nさんです。車椅子に座っているのは奥様です。
もう、自分は気もそぞろ、終わったらすぐ移動してしまうかもしれない、
かといって途中で話しかけるわけにもいかない。
約11年ぶりの再開です。
「Nさん、こんにちは、お久しぶりです。」突然のことに
「ん!、分らな・・・・」
「Kです。Nさんちっともお変わりなくて」
「あー・・・、今もあそこに住んでるのかい」
「そうですよー、奥様こんにちはお電話でよくお話しさせて戴きましたね」
「こんなになってしまって」とN さん(奥様の表情はありません、右手はにはテッシュの箱を持っていました」

Nさんは自分が55歳まで建築会社に勤務していた時1人親方として下請けをしていた業者さんでした。
何人もの若いもんを育て、特殊技術をもち会社としては頼りにしているNさんでした。
H病院に入院していて毎日来ていること、自分は母と暮らしていること、
MさんはどうしているかなーとNさん、Dさんは亡くなったのよと自分、少しお話しましたが
きっと近いうちにお訪ね下さることと思います。
自分、今晩お便りします。

夕食を食べに娘と孫がやってきた(5年生の女の子、3年生の男の子)
この二人の母さまへの挨拶は天下1品、「おばあちゃん、こんにちは」「こんにちは」
近ずいて大きな声とお辞儀の角度が大変よろしい、
母さまとってもいい気分。
ありったけのおかずを出して並べました。
早く並べないとおばぁちやん待ちきれなくて食べちゃうよ、
ゲームもPCも1時中断、一致協力、ワイワイ食べました。ありがとうね。

もう一人?正確には 鉄(一匹)も来ました。
行けば腰まで飛びあがり歓迎してくれますが、来たときは家中探検、大人しいもんです。
鉄の小さい時ハウス用意しました。娘夫婦の言う事には「えーっ!ばばちゃんが、信じられん」
「だって、あれダメ、これダメ可愛想でしょ、ハウスがあれば怒られなくていいもんね」

もちろん自分今日もプシュッです。
いい日でありました。




晴れのち曇り

この18日に叔母さん(母の妹)の法要があります。
弟と相談して母さまも同行出来るよう予定しています。
不安はあるものの大勢の中に出て行くのは最後やもしれません。

昼食後案内の手紙渡しました。
開封出来ず自分がハサミでチョキリ、
TVを見たり、はがきを見たり、はたまたコックリサン
「おかあさん、何だって?」
「Mというのは妹だよ、これは跡取りだね」
「何だって来たの?」
「4月18日、××会場、11時30分」
「お母さんお参り行く?」
「・・・・行く」(気のない返事、分ってるのかなー)
「じゃ、ね、髪染めてカットしたいんだけどいいかなー?」
「ありがとうね」(と言う割には染めてる最中も何度も言わないと忘れてしまう)


時はすぎて21時30分
「ご飯何時食べさせてくれるんですか?」
「ほっけ、こんにゃく、ザンギ食べたよ」
「いいえ!昨日から食べてません!私死にます!」
(出たー、久しぶりだなー、自分しらーっとPC触って様子見です。)
「トイレいきますか?」
「死ぬからいいんです」
「そうですか、では死んでいただきます」

今夜は見守り強化、
明日は洗濯一杯あるぞー!お湯も水も蛇口ひねればたんと出る、ドンマイ、ドンマイ。

節季働き

台風もどきが去って晴天なり。

さあーて、今日は動くぞ。
脳トレのつもりでメモせず家を出る。
まあ、回る順番は立てたのですが、MSを出て右折しょうと思ったのに車がびっしりで出来ません。
待てない短気な自分左折してしまいました。
さあ、何処から行けばいいんでしょう?左折の事は考えてませんでした。
Ⅰ、ホームセンター(母さまのリハパン購入)
2、Fメガネ(ツルのもげた自分のメガネ修理)
3、ドラッグストアー(洗剤、ソフター、トイレットペーパー、何故かトンカツソース)
4、魚屋さん(しまほっけ、何故かイチゴ)
5、郵便局(今より老後の為に貯金しました)
一時帰宅、自家製いちごジャムたっぷりのトーストで昼食、12時30分再度出発、
6、Kデイサービス訪問(ボランティアとも言うようだがおこがましい気持ちです。、自分のほうが元気を戴いたり、
  教わることが一杯ですし、気持ちよく迎えて下さる利用者さんや職員の皆さんにいつも感謝です。
  今日は母の骨折の事もあり2カ月ぶりでした。
  2人の職員さんが「僕、結婚しました。」「私、赤ちゃん出来ました」
  嬉しいではありませんか、自分が勤めていた時、呆れもせずに教えてくれた子供より若い先輩なのですから。
  そして利用者さんは、ご自分の怪我の事、病気の事、塗り絵の手を止めて話して下さいました。
  昨秋植えたチューリップも芽を出していて一安心です)
7、スーパー(刺身盛り合わせ、きゃべつ、鶏肉、ごぼう、ビール)
8、銀行(通帳記帳、保険料が天引きされて入るのだー)

まるで怠け者の節季働きのようにうごきましたねー。
デイから帰った母さまとお刺身に舌ずつみ、自分はこっそりビールをプシュッ!
美味しい肴のある時にゃ、飲むべきですよねー。

アッ!保健施設に行ってないです。

季節外れの暴風雪

今朝カーテンを開けると横殴りの雪です。
風も相当強いようで、太い電線がブォーン、ブォーンと揺れています。
こんな日は余計なことを考えず、動かず、ゆったりと過ごせます。

N子さんから電話かかって来ました。
「お姉さんイモの種、もう買ってもいいですか。3キロでいいですか」
「いいと思うよ、お願いしまーす、お母さんもいるよ、じゃーね」
母さまの言う事にゃ「男からかかってきたの?、お母さんも居ると言ったでしょ」
「N子さんが藻岩の畑のことで電話くれたんだよ」
(幸か不幸か残念でした。自分は母さまにへばりついてるんですからーッ。覚悟ーッ!)

立川談志さんが高座で右に左に座布団からこけながら演じていた。
「医者がミスをして子宮がんといいやがって」
「アッハッハッ、男はならないよー」母さまの鋭い突っ込み、

老兵は死なずに去るのみ と談志さんが言った。
これを深いといわずになんとしょう。
深いなー。  

母さまの変化 2

昨夜からひどい風、時々突風、朝方には瞬間風速29メートルも記録したそうです。
買い物外出の予定でしたがこんな時は御身大切じっとしていることに致しましよう。

母さまディから帰って来ました。
帰り乗車拒否があったものの日中は穏やかでリハビリーにも参加しましたと職員さんの報告でした。

それではコヒーとまんじゅう半分で落ち着いて貰いましよう。
「美味しいよ」
「ありがとう、晩御飯作るから待っててね」
TVを見ていた母さま突然立ち上がりました。
トイレ行きますと言いトイレの前に行くと「此処で選挙出来ますか?」トイレを使っている間にリビングに引き返すと週刊誌の鳩山内閣、参議院選なんたら、かんたら、というところ開いてます。
納得です。

床についた母さまガバット起きた。(腰、痛うはないんかい)
「ちょっとお尋ねしますが、2人の娘にイモをいれてお汁を作るようにいったのですが、何処へ行きましたか?」
「京都の娘さんですか、もう一人は何処にいるのですか」(もう1人は自分です)
「なにを言ってるの、アハハ」
「遊びに行ったんじゃないですか」
「呑気だねー」
こんなんでいいかしら?

母さまの変化 1

母さまの整形受診日、順調な回復で1ケ月後の検診となった。
(お母さん頑張ったね、ついでに自分も頑張ったよ、駐車場往復80メートルは歩いたね。)

母さま近頃変化あり、TVと会話するようになりました。
アナウンサー「どうでしょうか?」
母さま   「大丈夫です。きれいな男の人です!」
自分    「お母さんTVだよ」
母さま   「いいの、いいの、通じるものがあるの」
(そうでっかー。まあ口腔のリハビリーにはなるわなー)

無理ですか?

たちあがれ日本 耳の遠くなりつつあるんで 立ち枯れ日本と聞こえた。
メンバーを見て納得、枯れてもしゃきっとしなさい?  でも違った。

自分の頭は飛びました。
歳よりだけでもダメ、若いもんだけでもダメ、(今の政治見てれば分ります)

家庭でもそうです。国の政策に乗っかってきたら、ブイ、ブイの時はつかの間で、親の介護で大騒ぎ、特別の事をしてると勘違い、子供は手当貰わんゃ育てられません。そんなこと言わないで、
老若男女力合わせ、知恵出し合ってくらしましょっ。

歴代の車

午後がら藻岩山のふもとにある家庭菜園の雪の溶け具合を偵察に行きました。
そこは実家が昭和38年F市を離農して新天地を求め一家7人が移り住んだところです。
上の弟は21年前結婚を機に近くのMSに引っ越し、
下の弟も一昨年T市に移住、そんなわけで大きかった家を平屋に減築し、
家庭菜園として皆で楽しむことにしたのです。

自分が自動車免許を取ったのは44歳の時、勤めていた会社が交通の便の悪い所に移転しました。
どうしても働かなければならない状態にあり、仕事も適職でしたので夜間コースで2カ月以上かかりました。
先生が右といえば左にハンドルを切るのですから「右と左分るの?」と言われるありさまで、やっと受かって
車が来てもうんざりで大雨の降るまで1カ月の間乗りませんでした。

初めの車が軽のスズキのアルトで10年(9年目に内装のビニールがべロンと剥がれ雨漏りしました。)
2番目の車は三菱のランサーで3年(出だしの感じが好きでやっと買ったのに交差点で側面をぶつけられ、中央分離帯                のコンクリート柱に激突車横転、廃車)
3番目の車は日産のプレセアで8年(モクモクとなるから、なんか変と思いながら3,4日乗ってたら、ラジエターが
                 どうたら、こうたら、修理にすごくかかるのでこれまた廃車)
4番目の車は軽のスズキのワゴンRで3年経ちます(ターボエンジンでグイン、グイン、グイーンーという音堪りません


それで雪ですが山の近くでもあり残雪多く、あわてない、あわてない、
Sちゃんとこの畑から越冬人参2本もらいました。


愛車が帰ってきた。

事故っていた車が修理されて帰ってきました。

出張で札幌に来た1番下の弟に貸したところ、
1回目  右折しようとして直進車とぶつかる。 
2回目  横断歩道で歩行者妨害。
3回目  追突           10日の間に3回ですよー。

全く何を考えてたんだか信じられん!
35年無事故で初めてのがこれだというんですから、
ますます、信じられません!

綺麗に直ったので見てくださいと言われましたが、負傷した時の愛車と忍びなく面会してませんです。

こんなこと

春の暖かさと陽差しの日でした。

昨日の事です。
ミニクラス会から帰りポストの郵便物を見てびっくり、
何と50年前のペンフレンドからです。

昨年10月の京都の旅の時、島原の花街に大門だけが残っていると知り、
九条の妹の家からテクテクと気ままに歩き花街の名残を感じました。

西本願寺、東本願寺 あれっ、下京区?
若い時のことは覚えているんですねー。
XX小路、上る、下るまで着いてしまいました。
まっさか、表札の下を1軒、1軒なんて怪しーっ、
青春の思い出とあきらめて帰ることにしました。
と、そこに自転車に乗った同じ年ごろの男性通りました。

自分、何ということでしょう、
「MKさんのお宅はありますか」お声を掛けてしまって(信じられん!)
「すぐそこですよ。ご案内しましよう」と自転車を押してスタスタ行きます。
そんなこと言われてもおばさん反対方向に、逃げるわけにもいきません。
「いえあの、よろしいんです」といいながら立派な家の前まで来てしまいました。
(写真交換した当時の町家とは違います。)

玄関ドアを開けながら「奥さーん、ムニャ、ムニャ」
もう、最低、最悪、
奥様5間以上歩いて道路まで出てきてくださいました。
自分立派な大人だ!
勇気をだして「はじめまして、こんにちは、私北国の阿呆でございます。
実はかくがくしかじかでと言うしかありません」(ナメクジだったらよかったなー)
「あー、主人に聞いたことがあります、少しおまちください」
(なんてこった、自分機関銃もったきちがいみたい)


間もなく下駄ばきで、職人でござーい、実直,真面目と言う感じの男の人が現れました。
初めは分らないようでしたが、
「私が雑誌に投稿したのがきっかけでしたなー、N子さんでしたね。真面目な人という印象でしたよ」

そりゃそうでしょうよ、
奥様はいらっしゃる
悪ガキ?の幼馴染は腕組みして「ホーッ!Kちゃん、そんな話きいてないぞー。」
途中から話に参戦?
歳とったらすぐ友達になれるのかなー、
30分は話したと思います。
北国の女性はみんなこんなではありませんから、
悪しからず、お元気でとお別れしました。

自転車の君に「ここを真っすぐ行くと地下鉄の駅がありますよ」教えられ
右見て、左見て歩いていますと
チリン、チリン、ごめんなさいと振り返ると自転車の君ではありませんか、地下鉄はもうすぐです。
「よろしかったら、どうぞお持ちください」
祇園祭りの山鉾の色紙を追って持ってきてくださったのです。

帰宅してから自転車の君には礼状、Kさんご夫妻にはお詫びの文をしたためました。
後々わかったことですが、
自転車の君はこの地区の役員さんでKさんも昨年まで役員で、ネットで検索するとお二人とも歴史ある
地域で活躍、貢献されています。

自転車の君がお茶目の面白がりのようで(大手会社を退職されてますぅ)
お年賀だって君には出したけどKさんには差し上げてません。
のに、のにですよ。
50年前のペンフレンドから、体調を崩し家でのんびりしています。
よろしかつたら、昔の事や近況ををはなしませんか?って、

どこで、どうなったのでしょう ?
自分は京都大好きだしいいけれど、どんなもんでしょう?

あなただったらどうしますか?

おしえてください。




楽しい、嬉しい、

大阪から来た同級生を迎えてのミニクラス会から帰って来ました。
笑った、笑った、楽しかったにつきます。

40歳の時から2年に1度クラス会はしているんですけどね。
1回に2,3人とお話しできるのがやっとであとはサーラリ、サーラリですもんね。

幼馴染はいいもんですね。
ビンゴゲームも予想外の盛り上がりでした。
老眼は当たり前のど真ん中で、乱視も交じって、見えません。
耳も聞こえません。
歯も悪くて発音悪いです。
が、 声だけは大きいです。
話を聞いてくれないと言ってむくれます。


前期高齢者になりまして
介護保険 年金、 病気の3本柱で大盛り上がり、
介護保険証が送られて来た時ガクッときたそうな。
自分はクラっときました。
後期高齢者の方の気持ちマジわかりましたー。


母さまを保健施設に迎えに行きました。
お姉さんとハイテンションでお話しています。
「おかあーさん、迎えに来たよ」
「あーら」
(不穏の時もあったものの、母の気質を知っている職員さんに見守られ2日を
無事に過ごすことが出来ました。ありがとうございました。)

「2日位泊ったんだよね」
「そうだよ、出張の時また来ようね」
「・・・・・・この町は何という名前?」
「HN町だよ」
「田舎くさい名前だね」
「ハハハ、そうかい」(参ったね)


パジャマに着かえる時、ズボンを引っ張れと言う(お主、甘やかされたな)
出来るでしょと言うと あらそう ですって、
横になる時
「やっぱり娘はいいね。ありがとう」
(娘って分ったの、自分感激です)

母さまにのめり込んでいる自分がいます。

心配だー。

天気もどんより、頭痛もする、なーんか心が晴れないなー。

今日は自分の誕生日なのになー

お祝いのメールももらっているのになー


どうしてなのかはわかっているのさ


母さまが、退所後初めてショートステイに行ってるから

なーんか心配で、心配で

にっこり、2つ寝たらねとバイバイで分れたけど

ちやんと、おきたかな?

ちゃんと、ごはんたべたかな?

あー、心配だ


クラス会に行ってきます。




父の誕生日

予定どおり朝からお赤飯とお煮しめを作って父にお供えをしました。
生きていたらまだ92歳、お誕生日なのです。
常識としては命日におまんじゅうでしょうが、自分は
「お父さん、お誕生日だね」といつもより多く語りかけました。
どんなお父さんでしたかと聞かれたら子供にとっては優しい父で1度も叩かれたこともなく、
偉そぶったことも言わず、後ろ姿で教えるというような父でした。が、
農業をしていた昭和25年ごろ村で初めて8Q、だか9Qの電蓄を買って遠方からも、人々が見学に来ていて、子供心に身分不相応な感じがしたものです。その頃の床はフローリングでしたし、間もなく酪農にも手をだして母はやりくりに大変でした。新し物好きでその頃から椅子の生活、角食にバターをたっぷり塗って食べた美味しさといったら忘れません。極めつけは発明で浅植機の原型を作ったのは父で特許を取るお金がなくて、
権利を売ったのだそうです。嘘でない証拠にしかるべき保存館に文献と共にM式浅植機として展示されています。まあ、数え上げれば枚挙のいとまがありません。
利害関係のない人が見てたら面白、おかしでしょうが家族としてはずいぶん片身の狭い思いもしました。  母には苦労をかけた父でした。  また折に触れお話しましょう。

弟の多感な時期に父は別に居を構えていました。弟曰く「親父の葬式は俺は出さんから」と言ってましたが
10年前(父帰る)の小説のように帰り、老人ホームで3年暮らし、治療のかいなく発病から3週間あっけなく他界してしまいました。  
その頃には子供等も充分歳とってましたので足繁くホームを訪ねたり、お正月お盆には賑やかに一緒に過ごしました。

いよいよ最後のお別れでお棺が焼却炉?に導かれました。
皆が控室に向かう中、
弟はいつまでも頭を下げて動きませんでした。
自分は弟の後ろ姿にありがとうといって、初めて泣くことができました。
(自分と弟は年の分と父との暮らしの短さから想いが違うのは仕方のないことと思っていました。
そのことに異論を唱えたことはなかったけれど、男としてはどーなのと)
下世話な話ですが、とくに父方の親族の人たちは「立派なお葬式をありがとう」と弟に声を掛けてくれたようです。  弟も今年60歳12月には定年だそうな。

本気なんです。

母さまはデイの日です。
迎えに来た職員さん「ジョウヨウで大丈夫でしょうか?」
(常用?デイにそんなの?あーわからん)
自分の頭なぜか10年前まで勤めていた建設会社の思考回路になっていました。
(この季節になると決算でいまだにでうなされるほどですから)
「乗用車、大丈夫でしょうか」
あー常用ではなく乗用ね。


ラジオその1
55年も前NHKで「とんち教室」という番組がありました。
アナウンサー(先生)と生徒(石黒敬七さんとか、長崎ばってんさんとか、渋沢秀雄さん)で構成され
先生が生徒に問題を出し<その心>はということでトンチであったり、ユーモアーで回答するものです。
その中で誰々さん<博士>と先生が言うわけで、自分はみんな博士なんだーと思っていました。
のち、後、立派に?立派な大人になった時、
<博士>ではなく<白紙>ということにきずきました。


ラジオその2
○○本線下り××列車は雨のため<不通>になります。という放送が昔はよく流されていました。
自分は土砂崩れで通れないんだなーと思っていました。
もう何十年もそう思ってたのに
ひょんなことから<不通>ではなく普通>だという事に気ずかされました。

自分まあ、早合点のおっちよこちょいでその上結論を急ぎたがる短気ときたもんです。
直そうとは思いつつ気性、気質はなかなかですわ。
天然ボケなんて笑ってられませんです。ハイ。

ジェネリック医薬品

今日は気温も上がり、ん!春!と思わすお天気でした。

ランチは昨日作ったイチゴジャムを角食に塗って、ポテトのヨーグルト仕立てサラダでした。
母さまに「こんなものお昼ご飯とは言いません」やっぱりね、怒られちゃった。

糖尿病の定期検診で「伯母さん(母のお姉さん)に会いにいこうよ」連れ出し成功。
100歳と88歳の姉妹一個のおまんじゅうを半分にして、「あんた元気かい、元気かい」と案じあっていました。頑固おやじに育てられ、そのうえ貧乏で苦労したのです。四人いたきようだいも二人になって、毎日
会っても話は尽きないことでしょう。また行こうねお母さん。

薬局でジェネリック医薬品の説明を受けた。
要するに効き目は同じで安い薬はいかが?20パーセント位安くなるらしい。
が、である、
もしあわなかった場合、従来の薬と交換も、返品もできないという、
なにそれ?
ジェネリックスにしたら厚労省助かるようですが、
こちとらといたしましては一度来院するのもピリピリなんです。
短気な自分としましては「お話は分りましたが今までどおりで」ということでニッコリ。

桜とトレンチコート

天気予報では昨日より6度も気温が上がるはずだったのに陽もささずどんより冷たい日でありました。

エイプリルフールですか。これまでびっくりさせられたこともないし、人をドキッと担いだこともない、自分て詰まらん人ということかな。

春といえば桜、自分は春といえばトレンチコート、今では見かけなくなったけど、襟を立て、ベルトを無造作に腰でしばって、手はポケット、少し前かがみに歩くサラリーマンは素敵だとおもいます。

頑張れば、頑張っただけ自分に返ってきた良き時代から、仕事はない、何をやっていいかわからないそんな時代にしてしまいした。戦後たったの65年ですよ。高齢者だって降ってきたわけではあるまいに。
情けなや、なさけなや、

母さま、デイ帰宅
「ちょっと寄らせてもらいます。妹は来てますか?」
「今ご飯にするからこれ食べてて」(イチゴ)
昨夜ドリフターズの特番見て、刺激が強かったのか終わるころにはご乱心のていでした。
又一つ学習しました。

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