FC2ブログ

日々と

今月に入ってからK浬ちゃんのヒップホップダンスの発表会で
1年前より表情豊かに踊る成長した姿を観ることが出来ました

伊奈かっぺいのコンサートーク2016も行きました
言葉のぜい肉は笑いを誘いました

菜園でニンニクを60球植えて畑じまいをして
小庭に残るピーマン 万願寺 しし唐だけとなりました

身体を動かした後は十分な休養が要るようになりました

来年も同じ秋を迎えれるようにと自分を励まします

明日妹の所に行きます
治療をしないとか
ヘルパーさんをお願いしたとか
少しずつの変化がありました
治療をしてほしいという弟達の気持ちもあります
言えるかどうかは別として
しばらく妹の傍で過ごそうと思います。
スポンサーサイト



お伝えしたかったこと

実母の看取り       平成26年11月24日
私の母は10月1日「特養ホーム」で看取り介護を受け92歳で亡くなりました。
医師の所見は認知症による(食事量減少)老衰ということです。
母には2男2女の子供がいまして長女の私と長男である弟が密に関わりを持っていました。
母は「特養ホーム」に昨年の5月16日に入居致しまして 入居時は要介護4、杖をついた手引き歩行、食事はスプーンを使用し、トイレは声掛けで手すりに捕まり、立ったり座ったりが出来ていました。私達子供の顔はほとんど忘れていましたが、故郷の一已、石狩川、親戚、藻岩山という言葉、自分の名前は最後まで覚えていました。
 さて平成25年12月中旬より食事や水分量の摂取にむらがあるようになり体重も減少傾向になりました。
1月28日 ケアカンファレンスで食事、整容、リハビリー等、生活全般に渡ってサービス計画書の見直しをしていただきました。母の好きなものを持参して少しでもカロリーを取れるよう考える毎日でした。食べたり食べなかったりの一喜一憂の日々でした。
自分の意志で食事をしなくなると言う事も看護師さんとの相談か らお聞きしていました。又認知症では食べることを忘れると言う事も承知していました。
母は全部自分の歯で誤嚥もありませんでした。40代から糖尿 病を患っていましたので自分で単位計算をして、食べるということを非常に大切にしていた人です。この食べないということは子供達にとっては正に想定外でした。
食べられないはずはない!もう一度食べさせてあげたい!との
一念でその気持ちは最期まで変わることはありませんでした。
好きなものの差し入れから始まって
どうやったら口にしてくれるかの工夫
食べれるものを無理じいしないでと介護士さん看護師さん栄養士さんの助言をいただきながら自分の目で見て変わって行きました。
医学の立場から説明されてそういうものかと理解したつもりでも
食が細くなるのを見るのも絶つと言う決断をするのもとても辛い ものです。
気力、意識は最後までありましたので尚更のことでした。


2月8日  食が細くなっていると言う事で看護部長さんから胃瘻全般に渡ってのお話しがあり、もっと詳しくということであれば医師との面談も取り次いでくださると助言がありました。(弟胃瘻切り抜き)
2月21日 肉の好きな母はトンカツを美味しいと口にしました
      (お肉と団子、餅、コーヒーは最後まで口にしました)
3月10日 食欲が戻ったように食事介助をしていて感じました。
4月9日  「私は死ぬのですよ」と言いました。
5月    お膳を押しのてけ私にあなた食べなさいと言うようになりました
6月4日  医師との面談で 
認知症などの原因で食事、介護をを拒否されます
左半分の認識なく脳梗塞のなどもあると思います
まずは気持を落ち着かせるお薬を追加検討します
脳の画像検査をして食事が取れるようにならないか
検査加療をすすめます。その上で食欲が戻らない場合それは老衰 ということで、終末期の対応を考えて行きましようとの所見
6月8日  発熱(水分摂取不足又は感染症の疑い)      
6月16日 かかりつけの病院にて検査 脳梗塞の疑いにつき
      脳梗塞の後が多々あり脳の委縮。前頭葉の委縮もあり人間らしさなどの感情をコントロールする能力も低下、結果として現在の症状が出ています。 何か治療でよくなる病態ではありません。
      此処でも命の終わりのお話しを聞き。急変時を含め最低限の点滴のみで積極的な治療は行わずに自然経過を見て行くこと。風邪、胃腸炎とか通常の対応は他の入居者さん同様継続してもらうことを確認。

6月18日 要らない要らないもういいのとお水だけでいいのと言うようになりました。(ほうじ茶をテーブルに撒きカップを伏せたり、口に入れたものを吐き出したり、おしぼりを投げつけたりもしました。生前母は人は目つき鼻つきでも話すのですよ、察しなさい!とよく言ってました)
6月21日 持参したメルバランスを飲むようになりました
7月4日  「看取り介護についての同意書」を取り交わしました
      「ターミナルケアー同意書」を取り交わしました。

      これまでの主治医からの病状所見、検査結果は毎度コピーし京都の妹 弟に送り母さまの生い立ちからこれまでの生き方、母ならこうするだろうと言う事を踏まえてお互いの考えを手紙や電話で話し合いました。
      母は60歳以降極端に健康を害し、腰椎の2度にわたる手術、再生不良貧血症の治療を振り返り延命治療は要らないと何かの折に話してはいましたが、母の命が兄弟の手に握られていると思わずにはいられませんでした。
上の弟(62歳)は延命はしない
        下の弟(60歳)は生きてさえいてくれればな~
        妹は(京都在住67歳)難病闘病中の身で何も出来なくてご
めんねと言います。食べられなくて、解らないのならそれはアカンな~ 生きててくれたらね、 上の弟に任すと言う
私(70歳)主治医 看護師さんのお話し助言を受けながら
        延命はしないと決めました。
7月4日   特養に入居するまでの主治医から
お母様は十分立派に人生を頑張ってこられたと思います
認知症にも生命と同じように終わりがあります
嫌なことはせず見守って差し上げましようと言われました。
7月10日  私は太陽になるんですよと母は言いました
7月10日  ケアカンファレンス エンシャ提供
(家族の希望は辛い思いや痛みなどがなく、心地よい気持ちで
生活を送ることが出来ることでした)
7月12日  弟宿泊
       2時間おきの体交 声掛けに感謝
7月14日  介護士さんの助言で母さまらしい部屋に模様替え  平成の掛け軸 孫が作った誕生日毎の垂れ膜を持ち込み職員さんに掛けてもらう。
8月1日   「H喫茶」でお饅頭2個コーヒー2杯
8月24日  食事をもういらないの 要らないのと優しく手を振り笑った
8月19日  雨の中ドライブ 豊平川堤防 ミュンヘン大橋 藻岩山 大通り公園 私の説明で楽しげに外を見た
9月5日   今あることをあり難く
9月7日   午前の休養(母小さくなっていました)その後昼食 介助が早すぎる!と注意される。まだまだシッカリしていると思った

9月12日  「ユニット」行事T寿司外食 好きなコーヒーを美味しいと飲   
9月13日  東京から会いに来た孫娘とお正月の約束をしてうんうんと顔上げて握手をしました。
9月18日  「少しは自由にしてよ」と言いました。 食べ物口に傾眠傾向
9月20日  「明日も一緒に食べようね」と言うと「待てないかもしれないか      
       ら予約はしません」と言われました。
9月21日  カップ取り落す
9月23日  トロミがつきました
9月24日  トロミが硬いので緩くしてもらう。膝から頭からご飯粒だらけ、
       これは変化でなく異変。食べやすいものを食べれるだけ
       カンファレンスも近い
9月25日  9時30分固定電話が鳴って母さま急変
       介護士さん 看護師さんがひっきりなしに訪れてくださり
       母さまは弱い呼吸の中健気に呼びかけに答えている
       母さまにはいつも接してくださるもう一つの家族なのだと思う
       余命数時間?M子だよ此処にいるよ一緒だよと手を取り続け   
       た。「晩ご飯一緒に食べようね」と言うと「晩は寝ます」と答え
       た。回復の兆し?息子だよと2人の弟 義妹や孫、ひ孫が自己紹介すると「あら~」「ほう~」と大きく口をあけて納得の笑みです。(後日 弟とあの時から認知症では無くなったと話した)
9月26日  おか~さんM子だよと声掛けすると「あら~」と親愛の笑み
       8時トロミの経口栄養を100ミリ
       15時 経口栄養をスプーン3口   要らないの仕草
下唇に載せて誘導しても唇を動かさない
無理して舌に載せようとすると2度蒸せた
もう止そうと考えて考えて母さまの顔を見て手を取って決めた
(後に気が付いた介護さんは 看護師さんは食べることへの家族のこだわりと思いを尊重してくれたのだと)
夕刻 弟 娘夫婦孫6人の面会。皆が病気治った?と聞く。
憚れるほどの賑にぎしさで皆で夕食をする。
夜は長い 一緒に居るからねと声掛けながら母さまの室内履きを洗い膝から下を清拭、クリーム塗って マッサージ 靴下交換。1時間おきの体交に感謝。 介護士さんは何かあったら呼んでくださいねと心強い。
9月27日  7時20分 母さまおはようとあいさつ
       暖かいタオルで顔を拭く 目ヤニを取ろうとするとイヤイヤ
をする 突然「UOです」と起き上ろうとする。「MKです」と覗き込んで言うと「嬉しいです ありがとう」と手を差し伸べた。
      母はこの世で受けた怒哀を消化して喜楽の思い出と感謝を持って
元に戻るのだと母さまをまぶしく見た。
      母さまが愛おしくて 母と1日中手を取り合い頬寄せて
      母さまの美しい笑顔を見る 自分に甘える無邪気な母さま
      両の手で母さまの頬を何度も包み込む
      全身の清拭と足のまき爪の処置をしてもらう
9月28日 夕食より全く受け付けない(バナナ、経口栄養)
      (弟に食事提供の中止を伝える 小さく解ったと答えた)
酸素供給量76 脈拍108
入念な口腔ケアをお願いする
以後口を乾かさないよう 唇が荒れないよう 目ヤニがとどこらないよう看護師さんに相談  
寂しくないよう一緒だよと声をかけ続ける
訪れる看護師さんが「Uさんは頑張ってますね立派ですね」と声かけて下さる。私にも休めるときは休んでくださいと言ってくれる。
手足が冷たい マッサージを続けるとわずかに温かみが戻る。
左腰辺りに手をやるので痛いのかとエア~マットと体の間に手を差し込みなぞる、こうすると体が楽になると介護士さんが教えてくれた。左側臥位にして首下に手を差し込み母さまを抱いた。
石狩川知ってる~? 知ってるという表情
ありがとうと嬉しそうに言葉にした。
「故郷」と幼いころ家族で遊んだズイズイズッコロバシごまみそズイと一晩中歌った。母さまの身体をポンポンと叩いて一晩中歌った。母さまはもう指をまあるくは出来なかった。
私は泣いて歌って 歌って泣いた。
母さまは故郷を思いだしてくれたと思いたい。
9月29日 10時30分食事が出された。以後中止
      介護士さん看護師さんに相談伺い決定した。
      11時45分おか~さんM子だよと言うと「うんうん」とうなず         
      く。口を湿らす水分しずく程でも咳き込む。
      弟2人が家で休んでくるように言うが近いことを感じ3人で付き。添う。母さまは空に揚げた手を何時もの癖のように頬によせようとするもバタッ!と力尽きるようになった。
      その手をそっと受け止めて「一緒だよ」と3人で声掛け続けた。

      母さまが起き上がりたいとの仕草をしたので介護士さんに
      ベットを立ててもらう
      おばあちゃん おばぁちゃんと孫やひ孫が賑やかにベットを取り囲みついにはベットを部屋の中央に皆で移動して、母は
微笑みのVサインで皆と写真を撮りました。信じられない程の
母さまらしい気力でした。(数度の食回復、もういいでしょのVサイン)
9月30日 無呼吸が始った。先日の写真をA4判に焼いて母さまに見せた。
      ツメを切ってピンクパールのマニキュアを介護士さんとした。
      無呼吸の時間がだんだん長くなり手は上げるが苦しい表情はしません。(どうだったのだろうと案じている)
パッチリと目を見開いた
二人の弟を起こす。おか~さん!! おふくろ!!と
呼びかけた。母さまは体の弱い下の弟を案じて目やったように見えた。涙している弟に変わってそっと瞼に手をおいた。
無呼吸から27分後10月1日3時40分母さまは人生を強く明るく生き切って永眠いたしました。博多人形のように愛らしい顔でした。
その後医師の診断を受け清拭、臼化粧をして頂きお気に入りの着物を羽織って「ユニット」の親しかった方にお別れ、玄関では予期しなかった大勢の職員さん入居者さんにお見送りをしていただきました。

母の最期を気持ち強く明るく心残りの無いよう看取れるようにケア、サポートして頂きましたことに家族一同感謝いたしております。

それであなは「??施設での看取りは?」と聞かれたら
こうして皆さんの前でお話しさせていただいているのが答えです
今、私の中に有る母は施設での約1週間を家族で共に過ごしたVサインの母しかいません。大変でしたねと労われますが人生最良の日々を与えられたともおもい感謝致しております。
只、上の弟はもうだめだと解った数時間前苦しいのではなかったか?
安楽死とまでいかないまでも何かあったらなと後日に言いまして
私自身も懸念していたことでしたので言葉に詰まりました。
下の弟は無呼吸が続いて呼吸を始めるとき苦しそうだからもう呼びかけるのは止めたら?と言いましが最後まで耳は聞こえるからと「一緒に居るからね」と声掛け続けました。

50日祭を執り行い3日前に納骨を致しました。
今は亡き父と幼くして亡くなった兄妹、祖父と一緒に故郷の丘から若いころ
耕した水田を眺めていることと思います。

今日お話しさせていただきましたのは 
重度の認知症でありました母との「H」施設での看取り間近から
看取りまでの記録でした。
母が母さまがとお聞き苦しいこともあったと思います
又ご意見もあり考え方にも違いがあると思います。
一人一人の症状も家族の思いも違いますから他に助言を求めたり情報収集して模索するしかありません。
本日はありがとうございました。 


この文章は看取りの体験をお話させていただいたときのものです。


       

わたしは相当なひねくれ者です

日本は喫煙対策後進国だそうです
お酒も過ぎると体に悪いそうです
なら
売らなくてもいいじゃない!
税金収入少なくなるけど
どうするの~?


進行がんのとある有名人がブログ再開するそうです
なりたい自分になるために
発信して少しでもお役に立ちたいと
わたしはそのような気持ちも行動も大賛成です
「がんの陰に隠れないで」と助言くださった主治医に敬意です

これまでの人生が順調であればあるほど
現実が受け入れがたく
絶望が取り巻きます

高校3年生の農繁期に
父が札幌の病院に入院しました
これ以上の休学は定時制に編入という窮地に
母さまのお兄さんから
今のような境遇にあるのはMちゃんばかりでない
と封書を貰いました

思えばよく聞かれる言葉ですがわたしの人生思い起こされる言葉でもあります

発信する方もしない人も
湧き出る気持ちにたどり着いた時
自分だけではない と思えるのでしよう。

母さまの夢

朝は涼しかったのに午後からはクラクラ グて~っとするほどの暑さ

母さまの月命日です
直ぐに2年だなと日常に心にありました
お赤飯かチラシ寿司と思いつつ
自分大事の横着でお稲荷さんにしました

そういえば夢を見ました
酸いも甘いも包み込んだ
70歳の母さまでした

ひよっとして洞爺湖も一緒だったのかな。
プロフィール

ハッピーみっこ

Author:ハッピーみっこ
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR